1 雨が降っている。 降り出した頃は傘を求めて走る人や、かばんを頭上に持ち走る人がいた。そんなに時間が経ったわけでもないが、辺りに人の姿は余り見えなかった。そんな中、俺は傘もささず濡れていた。 背後で水飛沫を上げていた噴水も、もう止っている。 辺りには唯、雨の音がひろがっている。 洗い流されていくアスファルトを静かに見つめる。
・・・・・・・・・・・・? 足元で何かが動いたような感触。 雨の音に消されかけながら、俺の耳にかすかに届いた声・・・・・・・・・ 視線を足元へやるとそこにはずぶ濡れの真白な子猫がいた。ひょいっと膝の上に抱き上げ首輪をさがすがどうやら自由猫のよう。小柄な子猫がこれだけ濡れたら、放っておけばやがて冷たくなってしまうだろう。そういう自分もかなり冷え始めてはいるが、まだマシだろうとシャツの中に放り込む。 子猫の震えが・・・・・・・・・直に伝わってくる。
不意に雨が止んだ。 否、正しくは雨が止んだわけではない。俺に雨が降らなくなったのだ。別に子猫を拾った俺を神サマとやらが褒めたとかそういうわけではなさそうである。背の高い男が、俺に傘をさしかけていた。 開口一番、お決まりの台詞。 「君、ずぶ濡れじゃないか。」 ノーリアクションの俺をしげしげと見て、その男は言った。 「もしかして、男?」 もしかしなくても男だよ。何度となく繰り返している問答にうんざりしながらも、何故だか今日は黙っていられず、口を開いた。 「だったらなんか文句ある?」 軽く運動するのも悪くないと思いながら相手を睨んだ。 しばし沈黙。 沈黙 沈黙 沈 ・・・・・・・・・みゃぁぅう〜 俺の腹から(正しくはシャツの中から)さっきのちびちゃんの声がした。何もこのタイミングで泣くことはないだろう、子猫ちゃん・・・。 「変わった腹の鳴り方だなぁ・・・・・・・・・」 男は妙に感心したように呟く。 「馬鹿言ってんじゃねぇよ。ほらっこいつだよ。」 子猫を取り出し、突き付ける。 「こんなちびちゃんじゃあこの雨はヤバイだろ。おいっちびちゃん落とすなよ。」 ちょっと驚いた顔をしつつ、一瞬思案して男はひょいっと抱き上げた。 言っておくが、猫じゃない。俺をだ。 軽々と肩に担ぎ上げて歩き出した。 「ちょっ待てよ、オッサンッ!」 ぴたっ・・・・・・・・・と、歩みが止る・・・・・・・・・と思った。男は速度を落とす事さえせずに歩き続ける。 「おっさんはないだろ。俺は和隆。藤村和隆だ。だいたいまだ大学生だぞ?おっさんはやめろよ、お嬢ちゃん。」 「お嬢ちゃんって言うなッ俺は男だ。」 「名前は?」 「よしお・・・・・・・・・赤坂美央。」 「どんな字書くんだ?」 「美しいの美に中央の央。」 「美央(みお)ちゃんか♪」 「だからッ俺は男だッ!」 なんだかんだ言いながら俺はおとなしく(?)和隆に担がれていた。 「ちびちゃん落とすなよ。」 視界が反転し、足が地面に着く感触がした。 和隆は目の前の戸を開け、中に入るように言った。 「お邪魔します。」 「タオル持ってきてやるからそこで一寸待ってろ。」
言われるまま玄関で突っ立っていると子猫が此方を覗うように顔を出して此方を見ているのに気付く。 子猫に話しかけようとしたその時、ばさりとタオルを投げつけられた。 乾いたタオルの心地好い感触。 先ずこいつを拭いてやろうと子猫にタオルをかけようとすると、それを見越したかのように和隆は美央から子猫を取り上げ、こっちはやるから、と早く自分自身を拭くようにと促す。 頭を拭きながら殺伐とした玄関を見てふと思った疑問を口にする。 「あんた、家族は?」 「うん?・・・あぁ、俺は一人暮らしだよ。自宅は一寸ここからは遠いかな。」 「・・・へぇ。あんた金持ちなんだ。」 「・・・・・・さあ、どうだろうね。」 「なんだよそれ。変な答え。」 「・・・っつぅかさぁ・・・あんたは止めろよ。和隆って言う名前があるって言ってんだし。和隆って呼べよ。」 「はァ?何言ってんの?あんたはあんたじゃん。」 「ま、いいけどな。」 溜め息交じりに和隆は家の奥へと消えていった。俺はひとつ息を吐きながら、足元に擦り寄ってくる子猫を抱き上げた。暖かい、命の温もり。今更に自分の身体が冷え切っている事に気付く。 「おいっ、いつまで玄関に突っ立ってんだよ。来いよ。」 なぜかエプロン姿の和隆がひょっこり顔を覗かせ呼ぶ。妙に似合ってる? そんな事を漠然と考えながら再びお邪魔します、と言ってから部屋へと入る。 入った途端、ふわりと良い香りが身体を取り巻く。 香りのもとに目をやると、和隆が慣れた手つきでフライパンを振ってうた。どうやら料理を作ってくれているらしい。
美央が入ってきた気配を察してか、ソファに座るように言う。 言われるままにソファに座ると、ソファの前に配置してあるテーブルの上に暖かいミルクが置いてある。 「そこのホットミルク、取り敢えず飲んでろ。もうすぐ出来るから。」
この歳になってホットミルク?と内心悪態をつきつつ、一口飲んでみる。 空っぽの胃に暖かく染み込んでいくのが分かる。ほのかに香るこれは・・・おそらくブランデーの類だろう。 そのまま飲みきった時、和隆が出来上がったピラフ(カレーピラフだった)を運んできた。 「ホラ、おまえの分。残さずに食えよ。」 「・・・・・・・・・・・・イタダキマス。」 ぼそりと言ってから皿に手を伸ばす。 食べ始めた美央を見、それから子猫の前にも浅めの皿を置く。 「こっちは・・・ちびちゃん、おまえの分。おまえも残さずに食べるんだよ。」 会ってからこっち、ずっと無表情だった和隆が子猫を見てふわりと笑む。 こいつもちゃんと笑うんだ・・・なんて馬鹿な事を考えながらピラフを食べる手を止めて思わずぼーっと和隆の方を見ていると、視線に気付いたのか、また無表情になって手がお留守だぞなんて言ってくる。 子猫には笑いかけるのに俺には何で無表情なんだ?とか考えながら、今はこっちを片付けるのを優先しようと思い、ピラフを食べる。 そして今更ながらにピラフが美味しい事に気付く。
「料理・・・上手いな、あんた。」 「そうか?人に食わせるのはおまえが初めてだからな。そんな事、言われたことなかったな。」 そりゃ当たり前だろ、なんてツッコミたかったが、あまりにもコメディじみているのでやめた。 そんなこんなしている間に、子猫はミルクを飲み終わり、すやすやと心地良さそうな寝息を立てている。 それを見た和隆は、子猫を起こさないようにそっとタオルに包んで抱き上げた。 「寝室に寝かせてくるよ」 広い背中を見送りながら残りのピラフを綺麗にたいらげる。やっぱ美味い。 食べ終えて、ようやく部屋を見渡す余裕が出てくる。あっさりとした・・・というより何もないという印象を受ける部屋だが、絵だけは異常に多い。額縁に入れられたものや、画きあげた時のまま板の付いた姿のものもある。 「何見てんだ?」 部屋に戻ってきた和隆は第一声尋ねた。 「別に・・・なぁ、あんた何やってる人?」 「大学生って言ったの聞いてなかったのか?まぁ、正しくは美大生だけどな。」 「び・・・美大生?あんたが?」 そりゃびびるだろ。いきなり目の前のバンドマンかホストにしか見えない男に美大生ですぅなんて言われたら。 「そっ、寡黙な美大生。そこにある絵は全部俺が画いたやつだ。」 寡黙って・・・あんた寡黙の意味しってんの?なんて聞きたくなる。さっきまであんなに無表情だったのに、よく喋る。こんなによく喋る奴が寡黙だなんていったら、俺なんかどうなるんだよ。沈黙か? そんな事を心の中で突っ込んでると思い出したように寒気がした。そういやまだ微妙に髪とか濡れてるし。 「寒いか?こっちこいよ。」 和隆は自分の座る広めのソファに俺を呼んだ。ソファって言うより、お昼寝用ベッドみたいな感じ。素直にソファに座る。 「おまえまだ髪濡れてるじゃないか。ほら、頭貸してみろ。」 言い終わらないうちに俺の頭はバスタオルに包まれガシガシと掻き回される。 「うわぁぁぁっ目が回るってぇぇぇっっ」 もしかして熱でもあるかも・・・なんだか頭ガンガンするし・・・あー何がなんだかわからなくなってきた・・・ 「寒い・・・」 俺はただ温もりを求めて、手身近にあった温かいモノに抱きついて意識を手放した。
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